おはようございます。
みなさんは「断捨離」と聞くとどんなイメージを持つでしょうか。
私はやましたひでこさんの『新・片づけ術「断捨離」』という本を初めて読んだのは8年前くらいでした。
だいぶ前なので記憶はだんだん薄れていますが、現在でもこの本から取り入れた考え方は生活する上でわりと自分の基礎となっていると思います。
具体的には「モノ」との関係を常に見直して、身の回りにあるものの質を高めていくサイクルを意識するようにしています。洋服を整理するときはこの思考は大活躍です。全然着けていないのはすぐ捨てます。
「お酒」は「モノ」?
断捨離はいわゆるモノの片付け術として理解している人が多いと思います。
ただ、本を読んでみればわかると思いますが断捨離は「モノ」と「自分」の関係を見直すという点を重要視しています。
断捨離は「モノを断つ」、「モノを捨てる」、「モノの執着から離れる」の3つから成り立っているようです。
「モノを断つ」 とは本当にいま自分に必要なモノ以外は自分の空間に入ってこようとする前に断つ
「モノを捨てる」とは自分が今持っているモノで必要が無いものを手放すこと
「モノの執着から離れる」 とは今時分が持っているモノに対して「もったいない」といった感情を捨てること
私は断捨離セミナー講師でも何でもないので上記の説明は、やましたひでこさんの考えとは若干違うかもしれませんが、一応こんな感じで私は理解しています。
そして問題はというと「モノ」と「自分」について語っている「断捨離」と「お酒」がどういう関連があるのかという点です。
「お酒」を断捨離する
「断捨離」と「お酒」 をどう結びつけるのか 。
ここでいう「モノ」は必ずしも物質とは限らず、「〇〇をする」だとか「〇〇だと感じる」といった自分の記憶に経験として残すことができる行為・感情だともいえるというところがポイントです。
「お酒」 を「断捨離」するということは単に買ってきたお酒を飲まずに捨てることだけを指すのではなく「お酒を飲む」という行為に執着している自分をそこから「離す」ことだといえます。
さらに別の視点で考えてみると「お酒」= 「楽しい」とか 「お酒」= 「気持ちいい」といった方程式を自分の中に持っていてそれを手放したくないというふうに感じていると捉えることもできます。
お酒を飲んで楽しかった若いときの記憶を捨てられない。
またコピーして楽しい時間を過ごせるかもしれない。
だってあのときは楽しかったから。
こんな感じではないでしょうか。
確かに若かったあのときに感じた幸せや高揚感はある意味事実かもしれませんがこの先も全く同じように楽しめるとは限りません。
お酒を飲むという行為がそれによってうっすらと昔の記憶を呼び起こして寂しさや仕事の辛さを紛らわすためだけのものになっているような気がします。
今の自分にとって本当にお酒を飲むという行為が必要なのかを見直して、必要であればその執着から離れ、今までの楽しかった記憶も過去のモノとして捨ててしまいましょう。
そして、これから自分の中に入ってくるであろう、「お酒を飲む」行為によって記憶される楽しい記憶もそれが本当に今の自分にとって必要なものなのかを判断してもし要らないと感じるのなら「断つ」ことをオススメします。
がんばりましょう。

